1970年代、血液型談義の始まり

今では、日常会話にも「あの人はO型だから、ちょっと頑固なところがあるのよ」とか、「彼女は典型的なAB、不思議な感じだね」とか、ABO式血液型で、人の性格や特徴を語ることが一般に行われています。その信憑性や学術的根拠、はたまた、差別につながる、などの話はさておき、いつ頃からこの「血液型分類」が日本に根付いていったのでしょうか?

ウィキペディアによると、1971年、能見正比古氏の本「血液型でわかる相性」(青春出版社)がベストセラーになり、その後、たびたびマスコミにも取り上げられたのがブレイクのきっかけとのことです。そう言えば小生もこの頃、能見正比古さんの本を読んだ覚えがあり、周りでも血液型談義が多くなっていったような気がします。

1973年12月26日放映の「雑居時代」第13話。既に、この時には血液型分類が日本人の生活に入り込んでいると思わせるシーンがあります。
第13話、「一日遅れのクリスマス」より
クリスマスの翌日、夏代さんが阿万里(マリー)の2学期の通信簿を見ていると、マリーの血液型がAB型であることに気づきます。

夏代 「マリーは血液型、AB型?」
マリー 「AB型は天才か、キチガイが多いんだって。あたしはどっちかなアー、お姉ちゃんは、なあに?」
夏代 「あ、あたしはO型」
マリー 「やっぱり」
夏代 「やっぱりって?」
マリー 「お父さんと同じだもん」

(放送禁止用語が含まれていますが、オリジナルを尊重しております。)

この会話をきっかけに、夏代さんはAB型とO型の親子はあり得ない事に気づきます。その後、物語はマリーの出生の秘密へと展開していきますが、ちょっと気になるのは、脚本の松木ひろし氏が小学生のマリーに違和感なく「AB型は....」と血液型分類の話をさせている点です。知識欲旺盛な年頃のマリーや小学校の友達は、親から聞いた血液型の話を学校でしていたのでしょうか。すでに、この頃には血液型分類が幅広く日本人の生活に広がっていたような雰囲気です。

松木氏も自然な会話としてマリーに「AB型は....」と喋らせたのでしょうから、1973年当時には血液型分類が日本社会に根を下ろしていたと考えても不思議ではないでしょう。

今では、このシーンの演技をしている大原さんと杉田さんの血液型を知っているので、AB型の大原さんが「あたしはO型」、B型の杉田さんが「AB型は....」と言っているのも、何か変な感じがしますね。


補足 「雑居時代」出演者の血液型

(敬称略)
石立鉄男、B型と思われますが、信頼のおける出典は見つかりませんでした。
大坂志郎、AB型と思われますが、信頼のおける出典は見つかりませんでした。
冨士真奈美、ウィキペディアによるとA型。
大原麗子、AB型、「炎のように」大原政光、前田忠明著。大原さんはずっと自分の血液型は「O型」だと思っていたそうです。手術の際、血液型をあらためて調べ、ABと判明したとのこと。
川口晶、不明。
山口いづみ、A型、ご自身のブログ。
杉田かおる、B型、ご自身のブログ。
山本紀彦、不明。
浅野真弓、不明。
二見忠男、不明。
山田吾一、不明。
川崎敬三、不明。

信頼のおける情報とその出典をご存知でしたら、お知らせいただければ、幸いです。

コメント

  1. 血液型談義・・・なるほど、全然考えつきませんでした(笑)
    当時私も小学生でしたが、身体測定等でも調べなかったし、親がOだからきっとOだろうなあという認識しかありませんでした。
    根づいていたと言えば「クリスマス」ですね。昭和初期から盛んだったようですね。「バレンタインデー」は世間的には根付いていたと思いますが松木さん流のエピソードを見たかったなあって思います。

    返信削除
  2. バレンタインデー
    今のラブコメだったらチョコレートがネタに出てきてもおかしくありませんよね。バレンタインデー近くの放映では、第20話「もてないね?」74年2月13日。この回に登場したのは、「チョコ」ではなく「焼き芋」でした。そして、エンディングは「金襴緞子の帯しめながら、花嫁御寮は何故泣くのだろう」と、十一が風呂場でうなるシーン。舶来イベントの「バレンタインデー」とはちょっと距離がありました。

    血液型談義
    ドイツ人の知人によると、血液型で性格判断をすることなどあり得ないそうです。ドイツでは自分の血液型を知らない人も多いとのこと。今では救急の際も、すぐにその場で血液型を検査するので、自分の血液型を調べておく必要もないそうです。やはり、血液型談義は、日本の大衆文化のようですね。

    返信削除

コメントを投稿

人気の投稿