「雑居時代」の美術、佐谷晃能氏
「雑居時代」の映像に繰り広げられる空間と色彩はとても魅力的です。住んでみたくなるような栗山(大場)邸、心地良さそうな稲葉スタジオ、東京・山の手の日常的な風景の季節感。これらは、「雑居時代」のクレジット・タイトルでいつも目にする、美術、佐谷晃能氏の感性、センスの良さの賜物だと思います。
佐谷晃能氏は日活、故・西河克己監督の門下出身です。西河監督は著書「西河克己 映画修行」の中で、西河組メンバーを紹介しており、佐谷氏については以下のように語っておられます。
「通称、三平ちゃん。映画『赤ちゃん特急』でクレジットを私の指示で勝手に佐谷三平と変えてしまった。それ以来あだ名が三平ちゃんとなってしまった」
古い映画情報の検索などで「佐谷三平」とあるのは佐谷晃能さんのことなんですね。
日活時代は数々の名作の美術監督をされていましたが、1971年の「三人の女 夜の蝶」を最後に、日活を去っています。おそらく、千野皓司監督らと同じく、日活のロマンポルノ路線に反発し、日活を去った組でしょう。
その後、テレビ映画に活躍の場を見出した佐谷氏は、同1971年の「気になる嫁さん」を始めに、それに続く3作品のユニオン・石立ドラマ「パパと呼ばないで」「雑居時代」「水もれ甲介」 の美術を担当しています。
佐谷氏に幸運だったことは、1974年の東宝、ホリ企画の映画、山口百恵・三浦友和さんコンビの 「伊豆の踊子」の監督を 西河克己氏が引き受けたことでしょう。西河監督はその後の自身作品の多くの美術を、かつての門下の佐谷氏に依頼しています。
この時期、劇場用映画に本格的に復帰した佐谷氏は、遺憾なくそのセンスを発揮し、1979年の日本アカデミー賞では「処刑遊戯」、「復讐するは我にあり」、「蘇える金狼」の3作品で優秀美術賞を受賞しています。
「雑居時代」の美術がこの鬼才、佐谷氏の手によるものである事は、本当に幸運と言うべきでしょう。40年近く経った今でも、人々を惹きつけて止まないその魅力的な「雑居時代」の空間と色彩。佐谷氏の功績が大きいと思います。
佐谷氏は1999年に他界されています。その最後の話を知ったときは、胸が詰まる思いでした。
1991年、佐谷氏は西河克己監督の映画「一杯のかけそば」の美術を担当していました。不幸な事故は、その作業中の事でした。
元・日本映像職能連合幹事長、小池晴二氏がインターネットサイトに事に顛末をまとめておられますので、以下引用させていただきます。
(以下、引用)
聞いて聴かず、見て読まず、知って進まずの壁の中の10年
■或る投書
「朝日新聞『声』欄掲載2001(平成13)年9月 映画作り支え報われない死」 映画「一杯のかけそば」の美術を担当した知人の映画美術監督が亡くなったのは、平成11年夏でした。彼の死を思うと、無念が込み上げてくる。 10年前、彼は一人で美術倉庫の2階で翌朝使う建具を選んでいた時、見回りの人が彼に気付かず電気を消して施錠した。彼は暗闇の中で足を滑らせ、高所から落ちた。首から下がマヒになった。 夫人の献身的な看護8年。闘病生活は極限の苦しみだったという。クリスチャンでありながら死ぬことをしばしば考えた。「入れ歯で舌をかみ切ることもできない」。そんな電話を何度貰ったことか。 この事故の労災給付について仲間が支援に立ち上がった。しかしフリーのメインスタッフには認められないとの判断が示され、上級機関に再審査を要求した。彼はその結果が出る前に亡くなった。先日裁決が出た。従業員のような労働者性がないというものであった。 日本映画のかなりの部分は今、独立プロが担っている。大手映画会社の製作陣でもフリーが活躍している。メインスタッフの8、9割がフリーと聞いている。この現状を行政が理解してくれればと痛切に思う。
我が家のリビングには彼が動かぬ体で筆を口にくわえて書いた「神さまあなたにあいたくなった」という八木重吉の詩の色紙が掛かっている。
(引用、終わり)
佐谷氏は熱心なクリスチャンで、「ゴルゴタの十字架の上で」や「白姫抄」という墨絵集を出しています。
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