あの頃の大原麗子さん(2) 夏代とターコ

「雑居時代」の終了から2年半あまり、私たちは大原さんをユニオン・石立ドラマ、第6作「気まぐれ天使」で再び観ることになります。当時、多くの「雑居」ファンはこの作品を十一と夏代さんの続編として期待していましたが、その様相はかなり違うものでした。

「おひかえあそばせ」に始まる、それまでのユニオン・石立ドラマ5作品の根底を流れるテーマは「家族」。どの作品も、ありそうもないシチュエーションの中、登場人物達がドタバタを繰り広げます。しかし、これらのドラマが描いているものは、基本的には家族の心情のやり取りや機微であり、それまで多くの映画やドラマが取り扱ってきたオーソドックスなものです。

一方、この6作目「気まぐれ天使」が追い求めるものは少々違いました。加茂忍(石立鉄男)のもとに見知らぬ「ばあさま」と孫娘の渚が転がり込むという設定は「ありそうもない」話ですが、このドラマは「家族」というよりむしろ「生き方」という事をテーマにしている点でそれまでと違っているように思います。

不本意ながらも女性下着メーカーの宣伝部に勤務する忍、彼の本来の夢は童話作家になることでした。その宣伝部の副部長で、忍の高校時代の後輩、榎本一光(森田健作)は事業家の親からの束縛を逃れ、自分の生き方を模索しています。忍が下宿している荻田家は古本屋というある種、自由気ままな商売。登場人物達は束縛されない自由な生き方を求めているという点で共通しているわけですね。そして、ふーてん「ばあさま」と渚は、その自由度が最たるものとして描かれています。

「気まぐれ天使」第13話より、忍との別離のシーン
一方、全く逆の生き方をしているのが大原さん演じる大隅妙子(ターコ)です。忍と婚約しているターコは、彼が童話作家になることを応援しながらも、300万円貯まるまでは結婚しないと言い、忍を束縛する結果となっています。また、お金を貯めるために、夜間のアルバイトでラジオのDJをして、あくせくとしています。見方によっては、ターコは「ばあさま」や渚の自由な生き方を際立たせるためのアンチテーゼにも見えます。(でも、最後にターコはフランスへ旅立ち、新しい自分の生き方を見つけるという点で、アンチテーゼではなかったんですが)

忍とターコが喧嘩して言い合う姿は、十一と夏代さんを彷彿とさせますが、ターコは夏代さんとは「似て非なるもの」でしょう。それがよくわかるのが「気まぐれ天使」第13話の別離のシーンではないかと思います。

デザインの修行に、フランスへ旅立つターコ。このシーンでは、二人の関係はこれで最後だとはっきり言っているわけではありません。しかし言葉に出さずとも、二人はもう別れることを決意し、受け入れていることは明らかです。そして、このシーンの大原さんの演技・表情からは、何か今までとは違うもの、「夏代さん」とは一味も二味も違うものを感じざるを得ません。

かつて「雑居時代」第20話で、お父さん(栗山信)に「欠点があってもいいから、一つの物を重くてもつらくても、一緒に転がして段々大きくしていけるような人、そんな人がいいと思うの」と言っていた夏代さん。勝気な彼女ですが、まだ初々しさがありました。一方、ターコを演じる大原さんの表情はどうでしょう。そこに垣間見えるものは、人生の経験を一段と積んだ女性そのものです。

ターコが夏代さんと違うのは、もちろんドラマのテーマや役柄の設定が違うからです。しかし、演じている大原さんから伝わってくるものにもどこか違いが感じられ、それはテーマや役柄の話だけではない気がします。

「大原さん自身にも、この間に大きな変化があったに違いない....」
いつも「気まぐれ天使」を観るたびに、そんなことが想い浮かびます。

「雑居時代」と「気まぐれ天使」の間に、大原さんはギランバレー症候群との闘病生活を送っています。ターコと夏代さんの違いは、もちろんそのことが影響していると考えられますが、それだけではないようです。大原さん他界後、実弟・大原政光氏が彼女の私生活をある程度公開し、この時期の大原さんのことがわかるようになるにつれ、その変化はギラン・バレーだけによるものではないことが判りました。

(続く)

次回、「渡瀬恒彦氏とギラン・バレー」

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