あの頃の大原麗子さん(1) 「栗山夏代」までの彼女
栗山夏代が後に大原麗子として女優デビューしたような錯覚に陥る。
誰だったか、ある栗山夏代ファンの方のそのようなコメントが印象に残っています。夏代ファンの心理を見事に言い表した名言です。当時、多くの人たちはテレビドラマで大原麗子さんを、たびたび目にするものの、取り立てて注目していたわけではないと思います。しかし、ひとたび「雑居時代」で大原さんのファンとなった人たちは、その後、彼女が数々のドラマで存在感を示し、「好感度ナンバーワン」の国民的女優へ登りつめる様を見ることになります。それはあたかも「栗山夏代が女優デビューした」ように見えても不思議ではないでしょう。
実は、大原さんは「雑居時代」に出演する3、4年前から結構、テレビに登場しています。その時の小生の記憶をたどれば、準主役や脇役の「ちょっと、つっぱった、おきゃんな、お姉さん」という印象でした。「雑居時代」で、「夏代さん」役の垢抜けた大原さんを観たときは、「え?こんな人だったの!」と、驚きと少なからぬ感動を覚えました。それまでの彼女のイメージとの差が大きかったわけですね。
一番気になるあの頃、「夏代さん」が生まれる前後の大原さんついて、小生の記憶、図書、インターネットの情報などをまとめてみました。
大原麗子さんは1964年、NHKのドラマ「幸福試験」でデビュー、当時17才。翌年、東映に入社し、映画を中心に活動しています。その頃の東映は日活のアクションものに対抗し、任侠ものに力を入れていました。大原さんの役どころも、任侠映画に登場するスケバンっぽいものが多数でした。
彼女が売れ出したのは、1970年ごろだったと思います。その頃からの出演作を時系列にまとめたものが下の図です(映画と連続ドラマ・レギュラーを表示)。
大原さん23才、1970年には、初の主演となる映画「三匹の牝蜂」をはじめ、その他4本の映画に出演。連続ドラマのレギュラーを3本こなしています。DVD化されている「青春太閤記 いまにみておれ!」もこの年の作品です。そして、最後まで想いを寄せていたと言われる渡瀬恒彦氏と交際が始まったのも、「三匹の牝蜂」で共演したこの年だと推測されます。
24才、1971年に東映を退社、渡辺企画へ移籍し、テレビの仕事が多くなっていきます。この年には、映画4本、連続ドラマのレギュラーを5本に出演。ピーク時には4本のドラマをかけ持ちしています。「朝5時に起床、寝るのは深夜」という毎日だったようです。彼女の女優人生の中で最もがむしゃらに働いた年だと思います。
25才、1972年には、活動の中心はほぼテレビとなり、3本ほどの連続ドラマのレギュラーをかけ持ちする状態が続きます。森光子さん、浅丘ルリ子さんと交流が始まったのも「3丁目4番地」での共演がきっかけでしょう。
26才、1973年9月4日、渡瀬恒彦氏と結婚。世田谷区成城に新居をかまえ、渡瀬氏の母(姑)と3人の生活が始まります。この時期は、ちょうど10月3日放映開始の「雑居時代」の撮影が開始された直後でしょう。「夏代さん」は新婚ほやほやの大原さんが演じていたわけですね。
27才、1974年、NHK大河ドラマ「勝海舟」に長崎の愛人「お久」役で出演。大原さんが登場するのは舞台を長崎に移した4月7日放映分から。主演の渡哲也さんが病気のため、急遽、途中降板したため、2月ごろ強行軍で代役の松方弘樹さんと撮り直したはずです。その時期は「雑居時代」第24話「鬼千匹」の撮影時期と重なります。24話に大原さんが登場しないのは、この影響かと推察されます。渡哲也さんは、夫・渡瀬恒彦さんの兄。あくまで勝手な推測ですが、おそらく、大原さんは身内としての責任を感じ、「勝海舟」の撮り直しを「雑居時代」より優先させたのではないかとも思われます。
そして、何より注目すべきは、この時期を境に大原さんの演技は大きく変わったということです。それまでの、おきゃんなイメージから、「お久」のような、しっとりした深みのある女性を演じられるようになり、明らかに、女優としてのターニング・ポイントを迎えました。奇しくも、「夏代さん」はそのどちらにも属する、ちょうど境目だったような気がします。
「勝海舟」の「お久」役は、ご本人自身、女優としてはじめて代表作として誇れるものだと思われていたふしがあります。弟さん、大原政光氏のサイトに掲載されている「姉が生前作りました」とあるプロファイルにも、「勝海舟」が一番に挙げられています。それまでの、数々の出演作は1つも挙げられておらず、おそらく、ご本人も女優「大原麗子」の誕生はここからと考えていたのかもしれません。栗山夏代ファンにとっては、とても残念ですが。
こうして、彼女の仕事ぶりを追いかけると、あの頃の大原さんの姿が見える気がします。若さに溢れ、仕事に全力投球し、恋をして、結婚をして、女優として開花した、そんな彼女の姿が見えてきませんか?その後の大原さんの人生が明らかにされた今となっては、「あの頃」が彼女の人生の中で最高の時期ではなかったのかと思われ、一つの確信にたどり着きます。
「夏代さん」は一番幸せで、一番輝いていた、あの頃の大原麗子さんが演じたからこそ、奇跡的に生まれたのだと。
追記(2013年9月16日)
大原麗子さんが女優としてのターニングポイントを迎えた『勝海舟』。現存するものは総集編(前・後)だけのようです。この総集編、最近インターネットを介したNHKオンデマンドでも配信されているのに気づき、早速、視聴。約40年ぶりに観る「お久」に感無量です。
下の写真は、お久が勝と京都で再開するシーンから。「夏代さん」から数ヶ月後の彼女です。
誰だったか、ある栗山夏代ファンの方のそのようなコメントが印象に残っています。夏代ファンの心理を見事に言い表した名言です。当時、多くの人たちはテレビドラマで大原麗子さんを、たびたび目にするものの、取り立てて注目していたわけではないと思います。しかし、ひとたび「雑居時代」で大原さんのファンとなった人たちは、その後、彼女が数々のドラマで存在感を示し、「好感度ナンバーワン」の国民的女優へ登りつめる様を見ることになります。それはあたかも「栗山夏代が女優デビューした」ように見えても不思議ではないでしょう。
実は、大原さんは「雑居時代」に出演する3、4年前から結構、テレビに登場しています。その時の小生の記憶をたどれば、準主役や脇役の「ちょっと、つっぱった、おきゃんな、お姉さん」という印象でした。「雑居時代」で、「夏代さん」役の垢抜けた大原さんを観たときは、「え?こんな人だったの!」と、驚きと少なからぬ感動を覚えました。それまでの彼女のイメージとの差が大きかったわけですね。
一番気になるあの頃、「夏代さん」が生まれる前後の大原さんついて、小生の記憶、図書、インターネットの情報などをまとめてみました。
大原麗子さんは1964年、NHKのドラマ「幸福試験」でデビュー、当時17才。翌年、東映に入社し、映画を中心に活動しています。その頃の東映は日活のアクションものに対抗し、任侠ものに力を入れていました。大原さんの役どころも、任侠映画に登場するスケバンっぽいものが多数でした。
彼女が売れ出したのは、1970年ごろだったと思います。その頃からの出演作を時系列にまとめたものが下の図です(映画と連続ドラマ・レギュラーを表示)。
出典、ドラマデータベース、日本映画データベース
連続ドラマ・レギュラーの出演作のおおよその放映時期、
映画の公開時期を表示。
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大原さん23才、1970年には、初の主演となる映画「三匹の牝蜂」をはじめ、その他4本の映画に出演。連続ドラマのレギュラーを3本こなしています。DVD化されている「青春太閤記 いまにみておれ!」もこの年の作品です。そして、最後まで想いを寄せていたと言われる渡瀬恒彦氏と交際が始まったのも、「三匹の牝蜂」で共演したこの年だと推測されます。
24才、1971年に東映を退社、渡辺企画へ移籍し、テレビの仕事が多くなっていきます。この年には、映画4本、連続ドラマのレギュラーを5本に出演。ピーク時には4本のドラマをかけ持ちしています。「朝5時に起床、寝るのは深夜」という毎日だったようです。彼女の女優人生の中で最もがむしゃらに働いた年だと思います。
25才、1972年には、活動の中心はほぼテレビとなり、3本ほどの連続ドラマのレギュラーをかけ持ちする状態が続きます。森光子さん、浅丘ルリ子さんと交流が始まったのも「3丁目4番地」での共演がきっかけでしょう。
26才、1973年9月4日、渡瀬恒彦氏と結婚。世田谷区成城に新居をかまえ、渡瀬氏の母(姑)と3人の生活が始まります。この時期は、ちょうど10月3日放映開始の「雑居時代」の撮影が開始された直後でしょう。「夏代さん」は新婚ほやほやの大原さんが演じていたわけですね。
27才、1974年、NHK大河ドラマ「勝海舟」に長崎の愛人「お久」役で出演。大原さんが登場するのは舞台を長崎に移した4月7日放映分から。主演の渡哲也さんが病気のため、急遽、途中降板したため、2月ごろ強行軍で代役の松方弘樹さんと撮り直したはずです。その時期は「雑居時代」第24話「鬼千匹」の撮影時期と重なります。24話に大原さんが登場しないのは、この影響かと推察されます。渡哲也さんは、夫・渡瀬恒彦さんの兄。あくまで勝手な推測ですが、おそらく、大原さんは身内としての責任を感じ、「勝海舟」の撮り直しを「雑居時代」より優先させたのではないかとも思われます。
そして、何より注目すべきは、この時期を境に大原さんの演技は大きく変わったということです。それまでの、おきゃんなイメージから、「お久」のような、しっとりした深みのある女性を演じられるようになり、明らかに、女優としてのターニング・ポイントを迎えました。奇しくも、「夏代さん」はそのどちらにも属する、ちょうど境目だったような気がします。
「勝海舟」の「お久」役は、ご本人自身、女優としてはじめて代表作として誇れるものだと思われていたふしがあります。弟さん、大原政光氏のサイトに掲載されている「姉が生前作りました」とあるプロファイルにも、「勝海舟」が一番に挙げられています。それまでの、数々の出演作は1つも挙げられておらず、おそらく、ご本人も女優「大原麗子」の誕生はここからと考えていたのかもしれません。栗山夏代ファンにとっては、とても残念ですが。
こうして、彼女の仕事ぶりを追いかけると、あの頃の大原さんの姿が見える気がします。若さに溢れ、仕事に全力投球し、恋をして、結婚をして、女優として開花した、そんな彼女の姿が見えてきませんか?その後の大原さんの人生が明らかにされた今となっては、「あの頃」が彼女の人生の中で最高の時期ではなかったのかと思われ、一つの確信にたどり着きます。
「夏代さん」は一番幸せで、一番輝いていた、あの頃の大原麗子さんが演じたからこそ、奇跡的に生まれたのだと。
追記(2013年9月16日)
大原麗子さんが女優としてのターニングポイントを迎えた『勝海舟』。現存するものは総集編(前・後)だけのようです。この総集編、最近インターネットを介したNHKオンデマンドでも配信されているのに気づき、早速、視聴。約40年ぶりに観る「お久」に感無量です。
下の写真は、お久が勝と京都で再開するシーンから。「夏代さん」から数ヶ月後の彼女です。
年表見やすいですね。参考になります。
返信削除ところで、
>栗山夏代が後に大原麗子として女優デビューしたような錯覚に陥る。
>「勝海舟」が一番に挙げられています。それまでの、数々の出演作は1つも挙げられておらず、おそらく、ご本人も女優「大原麗子」の誕生はここからと考えていたのかもしれません。
やはり、そういう錯覚に陥るのは無理もないことですね。
麗子さん、いや夏代にしか書けないプロフィールですもの(笑)
そうですね!姉が生前作りました」とあるプロフは、夏代さんが書いたと考えれば、全て、つじつまが合います。
返信削除一方、弟さんが「サントリーのCMは、素の姉」と語ってましたが、「夏代さん」は、ほとんどサントリーCMとかぶっています。
キャラクターとしても、夏代さん=素の大原さん、なんだと思います。
素の麗子さん=夏代=サントリーの奥さん≒だいこんの花の高子≒青春太閤記いまにみておれのねねどの です。
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