名人、藤林甲の照明
「そーよーかーぜのよおーに....」と始まる「雑居時代」。毎回、毎回、クレジットに映る制作スタッフの面々。自然と全員の名前を覚えている方も多いのでは? 空で言えます!という人はかなりの「雑居」ファンということでしょうか。
「雑居時代」をはじめ、ユニオン・石立ドラマのクレジットによく登場する制作スタッフ、岩佐一泉、北泉成、佐谷晃能、藤林甲 ....1950年、60年代と数々の日活映画の制作に携わってきたベテランの方々です。1958年に観客動員数のピークを迎えた日本の映画産業。その後は下降線を辿るのみでした。その大きな要因はテレビの普及。1964年の東京オリンピックを契機に、いっきにテレビが家庭に普及すると、映画会社は軒並み経営難に陥りました。1971年、大映が倒産、日活も映画の制作を中止せざるを得ない事態となります。
この時、日活のベテラン映画人達は「ユニオン映画」に合流しました。彼らはテレビ放映用の映画=テレビ映画というジャンルに活躍の場を見出そうとしたわけです。劇場用映画に比べ、予算も時間も限れているテレビ映画。与えられた条件の中で、一切の妥協を許さず、ベストなものを追い求めた映画人達。その変わらない映画作りへの情熱が、「雑居時代」や「パパと呼ばないで」という、40年近く経った今でも色褪せない名作を生んだのだと思います。
日活出身のスタッフの中でも長老格だったのが、照明の藤林甲氏です。藤林氏は、1958年、田坂具隆監督「陽のあたる坂道」、中平康監督「紅の翼」で、卓越した照明技術が評価され、ブルーリボン賞の技術賞を受賞しています。
スタンドの灯り1つの十一の部屋の見事な陰影、
ウォールライトの下、夏代さんと秋ちゃんがベットで語り合う安らぎ、
柔らかい朝の光が差し込む台所
「雑居時代」に映し出される栗山邸内の光景は全く違和感がなく、本物の邸宅を使用して撮影しているのか?とコメントしていたファンの方もいるぐらいです。これらは、細部までこだわった小道具など、美術の佐谷氏のセンス良さに加え、何よりも、フィルム映像を知り尽くした藤林氏の名人芸とも言える照明によるところが大きいのではないでしょうか。違和感がない照明って、とてもすごいことだと思います。
ユニオン・石立ドラマ「水もれ甲介」の第1話、甲介は父親(森繁久彌)が息を引き取った病室から、外へ飛び出します。その時のシーンです。撮影=北泉成、照明=藤林甲、美術=佐谷晃能。
素晴らしい映像ですね。
「雑居時代」をはじめ、ユニオン・石立ドラマのクレジットによく登場する制作スタッフ、岩佐一泉、北泉成、佐谷晃能、藤林甲 ....1950年、60年代と数々の日活映画の制作に携わってきたベテランの方々です。1958年に観客動員数のピークを迎えた日本の映画産業。その後は下降線を辿るのみでした。その大きな要因はテレビの普及。1964年の東京オリンピックを契機に、いっきにテレビが家庭に普及すると、映画会社は軒並み経営難に陥りました。1971年、大映が倒産、日活も映画の制作を中止せざるを得ない事態となります。
この時、日活のベテラン映画人達は「ユニオン映画」に合流しました。彼らはテレビ放映用の映画=テレビ映画というジャンルに活躍の場を見出そうとしたわけです。劇場用映画に比べ、予算も時間も限れているテレビ映画。与えられた条件の中で、一切の妥協を許さず、ベストなものを追い求めた映画人達。その変わらない映画作りへの情熱が、「雑居時代」や「パパと呼ばないで」という、40年近く経った今でも色褪せない名作を生んだのだと思います。
日活出身のスタッフの中でも長老格だったのが、照明の藤林甲氏です。藤林氏は、1958年、田坂具隆監督「陽のあたる坂道」、中平康監督「紅の翼」で、卓越した照明技術が評価され、ブルーリボン賞の技術賞を受賞しています。
スタンドの灯り1つの十一の部屋の見事な陰影、
ウォールライトの下、夏代さんと秋ちゃんがベットで語り合う安らぎ、
柔らかい朝の光が差し込む台所
「雑居時代」に映し出される栗山邸内の光景は全く違和感がなく、本物の邸宅を使用して撮影しているのか?とコメントしていたファンの方もいるぐらいです。これらは、細部までこだわった小道具など、美術の佐谷氏のセンス良さに加え、何よりも、フィルム映像を知り尽くした藤林氏の名人芸とも言える照明によるところが大きいのではないでしょうか。違和感がない照明って、とてもすごいことだと思います。
ユニオン・石立ドラマ「水もれ甲介」の第1話、甲介は父親(森繁久彌)が息を引き取った病室から、外へ飛び出します。その時のシーンです。撮影=北泉成、照明=藤林甲、美術=佐谷晃能。
素晴らしい映像ですね。
平凡の記事、ルビをふってあるのが良いなあ
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