パパと呼ばないで ロケ地の楽しみ(13) 大横川

今では全く見なくなりましたが、1960年代半ばまでは、隅田川や、その支流の運河・水路には「だるま船」や「ポンポン船」と呼ばれる小型の貨物輸送船があちこちに停泊していました。それらの船主一家は陸には住まいを持たず船上で暮らすいわゆる水上生活者でした。戦後その数は増え、1950年代には隅田川全域には約1000隻もの水上生活者の船が停泊していたそうです。彼らは古くから隅田川周辺の物流に貢献してきて、一説によると、その起源は江戸時代にまで遡るとも言われています。

下の写真は第18話の冒頭、千春が水上生活者の子供達と親しくなるシーンから。


ドラマの設定では、千春が知り合った子供達がいた船は親戚のもので、子供達の親の船は横須賀の港へ働きに行っているとのこと。子供達のひとり、友子(写真右)と千春の会話。

千春「お船だから、お魚獲ってるの?」
友子「荷物を運んでいるの」
千春「荷物か。でも、どうしてパパやママといっしょに行かないの?」
友子「学校があるから」
千春「あーそうか」
友子「学校にはね、船がいなくても困らないように、泊まる所もあるんだ」
千春「お姉ちゃんも泊まったことある?」
友子「いつも泊まってるよ」

友子が言っている宿泊施設がある学校とは、かつて勝どき1丁目にあった水上小学校のことだと思われます。この学校は1930年に設立され、一時は120名もの生徒がいたそうです。ただ、この学校に来ていたのは水上生活者の子弟全体のごく一部で、学校に行かず、親の船で仕事を手伝う子供が多かったのが実態のようです。

1960年代の半ばには陸上輸送が整備されたことに伴って、水上生活者達の船も減り、この水上小学校も1966年3月に閉校されました。すなわち、友子の学校はこのドラマが撮影された1973年には、もう既に無くなっていたわけです。

ドラマでは千春や井上家の人々がだるま船の人達と親しくなる展開ですが、現実世界では、佃・月島の陸の住人と水上生活者との交流はほとんどありませんでした。以前、私は月島出身の古老に彼らについて聞いたことがありますが、つきあいも無いので、ほとんど知らないとのこと。曰く「子供達の学校も別。あの人達が町内会に入ることもないからね」

水上生活者は、自分たちの領分は水の上と自覚し、陸の住人とは関わらずに、ひっそりと暮らしていたということでしょうか。彼らの船だけが、永らくこの地域の風景に溶け込んでいるだけで、陸の住人と水の住人の世界は分かれていたことに面白さも感じます。

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上のカットと同ポジションの写真です。ロケ地は佃・月島ではなく、門前仲町1丁目の大横川沿い。


2021年1月17日、撮影。門前仲町1丁目2−8辺り。

今では、隅田川やその支流の運河・水路の両岸はきれいに整備されています。この大横川も当時は汚い運河でしたが、今では両岸2kmに渡り桜が植えられて、毎年、桜の開花の季節になると「深川さくらまつり」が催されます。かつて、水上生活者の汚い「だるま船」があちこちに停泊していたことなど、知っている人はわずかでしょう。

同じシーンで逆アングル。



2021年1月17日、撮影。

川幅が狭くなっているのは、川沿いが埋め立てられて公園になっているからです。当時、船が停泊していた辺りは、今は公園です。

オープニング、千春がだるま船に渡るシーン。



2021年1月17日、撮影。

千春の背後に写っていたマンションは今も健在!

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