あの頃の大原麗子さん(20) 自分をさらけ出す

私がインタビューなんかでいつも言っていたこと...自分自身が出ている、役を演じても、私の生き様は出ちゃうンですよ、自分の人間性っていうのが。いい面も、悪い面も。だから、それはとても怖いことだと思うのよ。でも、私はさらけ出して演ってるンだって、いつも思ってます。

いつからだったのかな、女優っていう仕事が、そういうものだって考えるようになったの。恒彦さんと結婚した年で、仕事をテレビに移して、ドラマが何本も入っていて、よく思い出せないけど、たしか、石立鉄男さんとのホームドラマに出演したときだったような気がする。

あーいうのが、カルチャーショックっていうやつかしら。撮影所の控え室は、板張りのプレハブ小屋で、汚いカーテンとコタツが1つあるだけでしたね。大掛かりなセットと大勢の人たちが行き交う東映の撮影所との違いに、ちょっとびっくりして、あー、こういう映画造りもあるんだって。

共演した女優の子たちとコタツに入って、おにぎりやみかんを食べたりしてね、楽しかった。撮影所は食堂が無くて、お昼は近くのおばあちゃんがやっているような定食屋さんに皆で食べに行きましたね。酢を摂るとよく体が動くようになるって聞いて、お酢を何にでもかけて食べるようにしてたのもあの頃かな。「レイコさん、ラーメンにもお酢をかけるの!」って、皆さんびっくりしてましたっけ。

私が育ってきた東映は、男社会。監督の指示が絶対で、言われた通り動き回るのが当たり前でしたね。怒号が飛び交う中、ピリピリしながら演っていたのが、それまでは何の疑問も持ってなかったけど、あのドラマで東京映画や日活出身の監督さん達と一緒に仕事して、女優っていう仕事の見方がガラッと変わった。

「もっと思いっきり、自分を出して」「いいねー、今の最高」...撮影の現場で、監督達から掛けられるのはそんな言葉が多かった。今風に言う「ほめて育てる」っていうやつかしら。私たちの時代はそんな言葉ありませんでしたけどね。でも、とことん拘る人たち。テレビのドラマでも映画並に造りたいって、いつも言ってました。

仕事を通して、自分を見ていくことを大切にしたい。そういう過程でね。私には過程が財産なのね。監督やスタッフの人から触発されるというのがうれしい。相手が一生懸命やる、私も一生懸命やる、仕事をしているときの喜びっていうのはそういうことですね。鴨下さんが、私を「演技の虫」って言っていたけれど、とことん拘るようになったのは、あのドラマが原点でしたね。

2009年8月3日、大原麗子さん永眠。合掌。

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大原麗子さんが『雑居時代』の直前に出演していたドラマ『まごころ』(TBS, 1973)。まだこのドラマまでは、女優としての幅は今ひとつ、というのが筆者の感想。与えられ役を真剣に演じる、でも、硬いんですね。



ご存知、『雑居時代』第12話、新宿西口の歩道の「ひょっとこ顔」シーン。平山晃生監督が大原麗子さんの魅力を引き出した名シーン。「本当の姉はお茶目」と、ご家族の方も語っておられましたが、大原麗子さんは栗山夏代役で初めて「自分をさらけ出した」というのが筆者の持論です。少々大げさですが、彼女が女優として開眼した瞬間です。



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これはフィクションです(筆者)。

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