パパと呼ばないで ロケ地の楽しみ(8) 佃・月島・勝どき その8

佃・月島で祭りと言えば、3年に一度、大々的に行われる住吉神社の例祭のことです。地元では住吉神社は「住吉様」と呼ばれて、近所の神社というよりも、生活の一部と言ってもよいほど、地元と一体化しているように思います。江戸時代からの伝統という面もありますが、私は、それにも増して、この祭りの影響の方が大きいと思っています。

どこの土地にも祭りがあり、夏や秋には神輿(みこし)を担いだり、山車(だし)を引いたりして、多かれ少なかれ盛り上がるものですが、佃・月島住民の住吉様のお祭りに対する熱狂さ加減には、昔からただならぬものがあります。

地元では、3年に一度、種々の行事をフルコースで行う例祭は「本祭り」、簡略したその他の年の祭りは「蔭」と呼んで区別しています。本祭りは、8月の最初の金曜日に、祭りの最初の行事である大祭式、土曜日には、獅子頭(ししがしら)、日曜日に八角神輿(はっかくみこし)が住吉様から宮出しされて、月曜日まで丸4日間様々な行事が執り行われます。

この4日間のイベントに向けて、7月下旬の梅雨明け頃からは、この地域一帯が祭りの話で皆がそわそわするようになり、法被(はっぴ)や足袋(たび)の準備を始めます。

下の写真は第35話、園子が祭りの提燈(ちょうちん)を灯すシーンです。祭りが近くなると、どこの路地も町内会から配られたこのような提灯を玄関の軒下にぶらさげます。

この第35話では、金造と鉄平が祭りの寄付金を募りにお米屋にやって来るシーンがありましたが、本祭りの寄付金集めは実際は半年ほど前から行われます。「今年は本祭りだからね」というのが合言葉みたいになって、住人の祭りへの期待は日々膨らんでいきます。

こういった祭りの手配は佃住吉講(神社の氏子組織)いう地元の運営組織が取り仕切って行います。私の祖父も戦前よりこの住吉講の一員でした。祖父は祭りの最初の行事である大祭式で、これまたその大祭式を開始する儀式として、拍子木をカチンと大きく鳴らす役割を永らく任されていました。まるで、祖父が祭りを開始するようだ、と私の母などの身内は鼻高々だったわけです。しかしながら、江戸時代から続く住吉講は長老達を筆頭にいくつかの階層があり、当時は若手だった私の祖父などは駆け出しで、拍子木を鳴らすことは実は下っ端の仕事だったようです。

土曜日の昼頃からは、各町内の詰め所で缶ビールや弁当がふるまわれ、「ウォー」という掛け声が上がり、いよいよ、神輿の巡行が始まります。真夏の太陽が照りつける中、「おりゃ、こりゃ、おりゃ、こりゃ」という勇ましい掛け声と共に神輿が近づいて来ると、沿道で水一杯のバケツを持って待ち構えていた見物客が、神輿を担ぐ男たちにバシャーと水を浴びせ掛けます。

以後、この狂乱的な祭りは 月曜日の夜まで続き、最後に住吉様の宮司が巡行から戻ってきた神社の八角神輿の御霊を解き放つ儀式をもって、4日間の熱狂はようやく締めくくられます。

祭りはその地域の気質が反映されると言いますが、はたから見ると、どんちゃん騒ぎとも思えるこのお祭り、 佃・月島の住人の気質そのものだと感じます。高齢となった私の母などは、今だに本祭りの年になると「今年は本祭りだからね」と例の合言葉を言い出します。血が騒ぐのだと言います(笑)。

近年の再開発事業で、タワーマンションが増え、元来の住民が激減したため、この住吉様の祭りもひところは勢いが無くなってしまったのですが、ここ最近に至り、逆にタワーマンション住人にはこういった祭りが珍しいのか、今年の本祭りは見物客が多く、かつての勢いを取り戻したように思います。どんな形にせよ、いつまでもこの祭りは続いて欲しいと願う次第です。

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ロケ地の写真を掲載します。

第19話。井上精米店を出て、アパート暮らしをする右京と千春。

月島3丁目7−1、2018年9月17日、撮影。

第20話。米の配達を終えて帰宅する精太郎。

佃3丁目9−2辺り、2018年9月17日、撮影。

第26話。姉とそっくりなルミと出会う右京。

佃3丁目2−7、2018年9月17日、撮影。上とほぼ同じ場所。

第26話。ルミのアパートに米を配達する園子。

佃3丁目10−13、2018年9月17日、撮影。

第26話。ルミを母親だと思い、追いかける千春。

佃1丁目、佃小橋、2018年9月17日、撮影。

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