パパと呼ばないで ロケ地の楽しみ(6) 佃・月島・勝どき その6

下の写真は第3話、おでん屋・若松で、千春がハシカで熱を出したと聞いた右京が慌てて店を飛び出すシーンから。ドラマでは若松がこの横丁にあるという想定でしょう。「月島二之部町会」という表示があることから、容易にロケ地住所を探すことができました。

昔は、西仲通りからちょっと脇の路地に入ると、このような飲み屋が沢山ありました。今では、西仲通りはかつての商店街の様相が全く消えて亡くなり、「もんじゃストリート」という名で全国に知れ渡っています。また、脇の路地エリアは大手デベロッパーによる再開発で、日々、昔の風景は壊されています。「西仲通り商店街」のWebサイトを見てみると、そこには、「今も変わらず下町情緒がいっぱいです」と書いてありした。昔を知っている者にとっては、ちょっと「ハテナ?」です。明治・大正時代からの遺産ともいうべき路地や木造の民家の風景をなんとか残せないものかと思っている人は多いのですが、改修費や維持費など、いざお金の話になると打つ手は無さそうですね。

今年のはじめにこのロケ地にも立ち寄ってみました。幾らかでも昔の面影が残っていないかと淡い期待を持っていましたが、すぐにその期待は木っ端微塵に打ち砕かれました。見事にこの辺り一帯は更地にされ、マンション・商業施設の建設工事の壁が作られていました。唖然として壁の前に立って辺りを眺めていたところ、「月島二之部町会」の掲示板だけが残っているのを見つけました。多分ドラマ撮影当時のものだと思い、写真に収めておきました。

月島1丁目22−5、2018年3月11日、撮影。

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テレビドラマなどで戦前、戦中の生活を悲惨な感じで描いている場合が多いのですが、月島について言えば、現実はそうでもなかったようです。元来、月島の住人の多くは、石川島造船所や石井鉄工所関係の労働者、その下請けの職人さん達、はたまた築地市場関係の商売人などでした。「てやんでえー」という感じで、明るくたくましく生きていく空気に溢れていたと聞いています。『パパと呼ばないで』に登場する井上精米店や魚敏の一家は、まさにこ地域の気質そのものです。

戦前から月島には映画館が2つ、寄せも1つありました。テレビもネットもない時代、映画や演芸は娯楽の王様でした。私の母親がまだ小さい頃、祖父母たちは夕飯を終えると寝床の準備をしてから、子ども達を連れて、近所の映画館によく行っていたそうです。現在であれば、家族で夕食を終えた後、リビングのテレビでDVDなどを観るのと同じような感覚でしょう。

当時5歳だった母親や、そのすぐ下の3歳の弟(叔父)は、祖父母と一緒に大人の映画を観ていたとのこと。この話を聞いたとき、私の脳裏には浴衣姿の祖父母の隣にちょこんと並んで座っている幼い子供たちの姿が浮かびました。そして銀幕には上原謙、田中絹代の『愛染かつら』、山田五十鈴、長谷川一夫の『鶴八鶴次郎』などが映写されていたに違いありません。

映画が終わると、祖父が3歳の叔父をおぶり、祖母が5歳の母親の手を引いて帰り道を歩いたのでしょう。明るい西仲通りの商店街から路地に入ると、その両側の長屋の縦格子からはわずかに灯りが漏れて、暗い路地を照らしてくれています。家に着く頃には、5歳の女の子は眠たい目をこすり今にも布団に倒れそう、3歳の男の子は、もう祖父の背中でぐっすり眠ってる。そんな想像をしていると、私も昭和初期の月島にタイムトリップして若い頃の祖父母一家に会いたくなりました。そして、映画館で彼らの隣に座って、いっしょに『愛染かつら』や『鶴八鶴次郎』を観てみたいなんていう欲望に駆られます。

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ロケ地の写真を掲載します。

第11話、尾崎邸で千春と別れた園子。

佃1丁目、住吉神社、2018年2月18日、撮影。

第12話、頼子が千春を引き取ると聞いて米屋に向かう治子。

佃1丁目3−10、2018年5月4日、撮影。

第15話、羽山洋裁店を探す右京。

佃3丁目11、2018年5月4日、撮影。

第15話、羽山洋裁店前。

佃3丁目11、2018年5月4日、撮影。
第2話で右京が大町宏子と出会った場所と同じ。

第15話、みち子達と食事をした帰り。

佃3丁目9−1 、2018年3月11日、撮影。
第10話で登場した理髪店と同じ。

第15話、秋夫と相撲観戦した右京。いっしょに「立ちション」をする。

佃3丁目11−19、2018年3月11日、撮影。


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