若い川の流れ(7)

1968年のドラマ『若い川の流れ』の話をロケ地を中心に書いてきましたが、あらためて映像に写っている60年代の東京の風景にノスタルジーを感じる今日この頃です。50年の月日で失われた東京の風景。ロケ地の現在の風景と対比すると、その想いは一層強くなるのかもしれませんね。今回は中でも懐かしさを感じさせる2つのシーンを取り上げました。

まずひとつ目。下のカットは第8話から。歩いているのは曽根健助(浜田光夫さん)と川崎ふさ子(磯辺玉枝さん)。ロケ地は小田急新宿駅ビル(ミロード)横の通路、「モザイク通り」。かつてこの路はタイルをモザイクのように貼り付けてあったので、この名前が付けられました。今ではモザイクは無くなってしまい名前だけが残っています。



同ポジションの写真です(2016年12月19日撮影)。クリスマスのイルミネーションがキレイですが、最近はどこへ行っても似たようなLED照明でうんざりです。こんなありふれた照明よりも幾何学模様のタイルを残した方がよっぽど価値があると思うのですが、いかがでしょうか。

2つ目は第11話から。下のカットに写っているのは室井敬三役、川口恒さんとその弟役、池田秀一さん。ロケ地は東急世田谷線・松原駅前。背後に緑とクリーム色の玉電、通称「ぺこちゃん」が見え、左手には和菓子屋、蕎麦屋などの商店が並び昭和の香りがぷんぷんしてきます。

映像には写っていませんが、この通りの右側にはスーパー「オオゼキ」の本店があります。今では都内のあちこちに展開している大手スーパーですが、ここが発祥の地です。

昭和30年代、まだ日本にはスーパーマーケットなるものがなかった時代。大概、こういった駅付近の人が集まる所では食料品店や酒屋などが建物のオーナーで、そこに肉屋、魚屋、八百屋などをテナントとして入れ、市場(いちば)を作っていました。市場の中は裸電球が吊り下げられ、どの店先でもオジサンやオバサンが威勢の良い掛け声とともに、魚や野菜を古新聞にくるんで渡してくれました。

当時はそんな形態の市場があちこちにあったと思います。やがてこういった市場が、スーパーマーケットへと変貌していくわけです。成城学園前の「石井」などがまさにその典型でしょう。この「オオゼキ」も元々はこの場所で営んでいた食料品店。今でも、ご年配の方の中には「大関屋さん」などと昔ながらの名前で呼ぶ方も多いようです。

昭和40年代の初頭、近くの市場がスーパーマーケットに改装されて、初めて行った時のことを覚えています。母親が「自分でモノを取っていいのよね」などと言いながら、物珍しげに店内に入って行ったことが記憶にあります。今では信じられないかもしれませんが、自分で商品をカゴに入れて最後にレジでお金を払うということがすごく新鮮な時代でした。

同ポジションの写真です(2016年11月6日撮影)。道の左側はこじゃれたマンションが建てられ、昔の雑多な雰囲気は亡くなってしまいました。この世田谷線、2両編成の電車から見える景色は東京の喧騒から外れ、あたかも「世田谷村」という感じがしていたのですが、ここ10年ほどでその昭和の面影もイッキに薄れた感があります。この路線と沿線の風景はいつまでも残して欲しいと願う次第です。

コメント

人気の投稿