ある日わたしは ロケ地の楽しみ(3)
1967年のドラマ『ある日わたしは』。そこに写った当時の東京の風景、そして、そのロケ地はいったい何処なのか、すこぶる興味をかきたてられます。前回に続き、50年前の東京を探索してみましょう。
下の写真は第11話のラスト、ゆり子(松原智恵子さん)とかおり(ジュディ・オングさん)が友人たちのスキーバスを見送ったシーンです。ラストのカット(写真1)では高いカメラ位置からのロングでゆり子とかおりを写しています。
写真1
さて、このシーンのロケ地はいったい何処でしょうか? 一見、新宿か渋谷のような雰囲気ですが、ちょっと違うような... 映像に写った手掛かりから、ひとつひとつ推理していきましょう。
映像を静止してよく見ると、左手かどの店に「千多和」という表示が見えます。「ちたわ」とでも読むのでしょうか? でも、この映像からは何の店だかわかりませんね。一方、右手の電柱には「十仁美容整形」という看板。「十仁病院」は古くから新橋にあった美容整形の先駆け的な存在です。電柱に看板があるということは「十仁病院」がこの近くにあるということ。このシーンのロケ地は新橋・銀座界隈と考えるのが妥当でしょう。
次に、もうひとつの手掛かり「千多和」をネットで検索をしてみました。残念ながら、全くそれらしい情報にはヒットしません。そこで、「千多和」と「新橋」で検索...同じく収穫なし。では、「千多和」「銀座」ではどうか? すると、銀座の「千多和眼鏡店」が日活映画に写っていたとの記載が見つかりました。グーグル検索エンジンで見つかった「千多和」に関する記載は、これ1件のみでした。しかし、何とラッキーなことか。
記載によると、その日活映画は1962年公開の『二階堂卓也 銀座無頼帖 帰って来た旋風児』。小林旭さんの銀座シリーズの1つです。なるほど、日活映画か。銀座は日活映画のホーム・グラウンド。日活映画を調べてみると「千多和眼鏡店」の場所がわかるかもしれませんね。
チャンネルNECOの番組表を見ると、これもまた幸運なことに、小林旭、銀座シリーズの1つ、『銀座の次郎長』(1963)が放映されているではありませんか! 早速、録画して銀座のロケシーンを見てみました。そうすると、ラストシーンに、何と「千多和眼鏡店」が登場! 思わず「やったー」と叫んでいました。
写真2、『銀座の次郎長』(1963)より。
写真3、『銀座の次郎長』(1963)より。
写真2、左手の曲がり角に「千多和眼鏡店」が見えます。写真3は、その角を曲がった後の風景。「千多和眼鏡店」は右手に見えます。そして、その並びの奥には「中林画廊」。さらに、写真中央・遠くに見えるのが、有名な「森永・地球儀ネオン」。当時、銀座4丁目交差点近くにありました。
早速、「中林画廊」と「銀座」というキーワードで、ネット検索。根気よく記事を調べていくと、『銀座百店』の第45号に「みゆき通りの三軒の画廊(文藝春秋画廊、中林画廊、フォルム画廊)で開催された初めての個展を記念して...」という記載があったことを見つけました。そうか、ここは「みゆき通り」ということか。でも、「みゆき通り」と言っても、どの辺りでしょうかね?
「地球儀ネオン」がこの位置に見えるということは、「みゆき通り」をかなり日比谷方面に行った辺りでしょう。そしてもうひとつの手掛かりは、この道路の曲がり具合。道路の高低差や、曲がり具合、電柱、消火栓の位置は時が経っても変わらないので、ロケ地点を特定するのにとても役立ちます。
写真3に見える「富士フィルム」という看板の辺りから、この道路はわずかに折れ曲がっているのが見えます。そうだ、「みゆき通り」で折れ曲がった場所を探せばいいんだ...グーグル・マップを見てみると、ありました、ありました! ちょうど、「泰明小学校」の辺りで「みゆき通り」は折れ曲がっています。
グーグル・ストリート・ビューでこの辺りを散策。しかし、例によって50年も経っていると、風景は全く変わってしまって、あまり役に立ちません。ストリート・ビューの散策は止めて、現地に行ってみることにしました。
写真3の左手に「泰明小学校」の校庭が写っていないということは、「千多和眼鏡店」のちょうど向かいが泰明小学校の校庭と考えられます。下の写真4は「みゆき通り」、泰明小学校の校庭の辺りです。正面に見えるのが、3月にオープンしたばかりの東急プラザ(旧、銀座東芝ビル跡地)。写真3で当時「富士フィルム」の看板があったのはこの辺りでしょう。「中林画廊」や「千多和眼鏡店」はおそらくこの写真右手のビル(Daiwa銀座ビル)の辺りにあったと思われます。
写真4、2016年5月28日、撮影。
『ある日わたしは』第11話、ラストシーンに戻りましょう。下の写真5は写真1と同じ方向で撮影したものです。今ではこの「Daiwa銀座ビルがドーンと大きく建ってしまっていますが、おそらく当時「千多和眼鏡店」はこのビル1階のショップの辺りにあったと推測できます。写真1、俯瞰のロングショットは「泰明小学校」の校舎2階から撮影したものと考えられます。
写真5、2016年5月28日、撮影。
しかし、ここで大きな疑問にブチ当たります。写真1では、当時、ここにみゆき通りと交差する道路があり、車が2台写っていました。また写真2でも「千多和眼鏡店」を曲がった道沿いにカレー屋や不動産屋などが写っていました。この道路はどこにいってしまったのでしょうか?
こういう時に役に立つのが、「goo」の古地図。昭和22年(1947年)と昭和38年(1963年)の航空写真が見られます。早速、このビルの辺り調べてみました。
思った通り、1963年の航空写真には、みゆき通りと交差する道路が写っています。その後、高度経済成長期にこのビルが建てられ道路が無くなってしまったということでしょう。ネットで「Daiwa銀座ビル」を調べると1972年竣工とのこと。『ある日わたしは』が撮影されたのが1967年ですから、撮影後間もなくこの辺りの再開発工事が始まったと考えられます。この時期の東京の風景はどこも毎年大きく変わっていったのを思い出します。
***
もう1つ紹介しましょう。下の写真は第15話、ゆり子(松原智恵子さん)と次郎(和田浩治さん)が喫茶店で会話するシーン。
窓越しに見える「富士フィルム」の看板。もう、おわかりですね。このシーンのロケ地も同じく銀座「みゆき通り」と考えられます。ドラマ映像では電柱に「十仁美容整形」の看板も見えましたから、間違いないでしょう。窓越しに見えるのは、ちょうど写真3を反対方向から見た風景ということですね。道路が「富士フィルム」の看板の先で折れ曲がっている具合もよく見えます。
2016年5月28日、撮影。
もうひとつ、ロケ地特定できました(喜)!
下の写真は第11話のラスト、ゆり子(松原智恵子さん)とかおり(ジュディ・オングさん)が友人たちのスキーバスを見送ったシーンです。ラストのカット(写真1)では高いカメラ位置からのロングでゆり子とかおりを写しています。
写真1
さて、このシーンのロケ地はいったい何処でしょうか? 一見、新宿か渋谷のような雰囲気ですが、ちょっと違うような... 映像に写った手掛かりから、ひとつひとつ推理していきましょう。
映像を静止してよく見ると、左手かどの店に「千多和」という表示が見えます。「ちたわ」とでも読むのでしょうか? でも、この映像からは何の店だかわかりませんね。一方、右手の電柱には「十仁美容整形」という看板。「十仁病院」は古くから新橋にあった美容整形の先駆け的な存在です。電柱に看板があるということは「十仁病院」がこの近くにあるということ。このシーンのロケ地は新橋・銀座界隈と考えるのが妥当でしょう。
次に、もうひとつの手掛かり「千多和」をネットで検索をしてみました。残念ながら、全くそれらしい情報にはヒットしません。そこで、「千多和」と「新橋」で検索...同じく収穫なし。では、「千多和」「銀座」ではどうか? すると、銀座の「千多和眼鏡店」が日活映画に写っていたとの記載が見つかりました。グーグル検索エンジンで見つかった「千多和」に関する記載は、これ1件のみでした。しかし、何とラッキーなことか。
記載によると、その日活映画は1962年公開の『二階堂卓也 銀座無頼帖 帰って来た旋風児』。小林旭さんの銀座シリーズの1つです。なるほど、日活映画か。銀座は日活映画のホーム・グラウンド。日活映画を調べてみると「千多和眼鏡店」の場所がわかるかもしれませんね。
チャンネルNECOの番組表を見ると、これもまた幸運なことに、小林旭、銀座シリーズの1つ、『銀座の次郎長』(1963)が放映されているではありませんか! 早速、録画して銀座のロケシーンを見てみました。そうすると、ラストシーンに、何と「千多和眼鏡店」が登場! 思わず「やったー」と叫んでいました。
写真2、『銀座の次郎長』(1963)より。
写真3、『銀座の次郎長』(1963)より。
写真2、左手の曲がり角に「千多和眼鏡店」が見えます。写真3は、その角を曲がった後の風景。「千多和眼鏡店」は右手に見えます。そして、その並びの奥には「中林画廊」。さらに、写真中央・遠くに見えるのが、有名な「森永・地球儀ネオン」。当時、銀座4丁目交差点近くにありました。
早速、「中林画廊」と「銀座」というキーワードで、ネット検索。根気よく記事を調べていくと、『銀座百店』の第45号に「みゆき通りの三軒の画廊(文藝春秋画廊、中林画廊、フォルム画廊)で開催された初めての個展を記念して...」という記載があったことを見つけました。そうか、ここは「みゆき通り」ということか。でも、「みゆき通り」と言っても、どの辺りでしょうかね?
「地球儀ネオン」がこの位置に見えるということは、「みゆき通り」をかなり日比谷方面に行った辺りでしょう。そしてもうひとつの手掛かりは、この道路の曲がり具合。道路の高低差や、曲がり具合、電柱、消火栓の位置は時が経っても変わらないので、ロケ地点を特定するのにとても役立ちます。
写真3に見える「富士フィルム」という看板の辺りから、この道路はわずかに折れ曲がっているのが見えます。そうだ、「みゆき通り」で折れ曲がった場所を探せばいいんだ...グーグル・マップを見てみると、ありました、ありました! ちょうど、「泰明小学校」の辺りで「みゆき通り」は折れ曲がっています。
グーグル・ストリート・ビューでこの辺りを散策。しかし、例によって50年も経っていると、風景は全く変わってしまって、あまり役に立ちません。ストリート・ビューの散策は止めて、現地に行ってみることにしました。
写真3の左手に「泰明小学校」の校庭が写っていないということは、「千多和眼鏡店」のちょうど向かいが泰明小学校の校庭と考えられます。下の写真4は「みゆき通り」、泰明小学校の校庭の辺りです。正面に見えるのが、3月にオープンしたばかりの東急プラザ(旧、銀座東芝ビル跡地)。写真3で当時「富士フィルム」の看板があったのはこの辺りでしょう。「中林画廊」や「千多和眼鏡店」はおそらくこの写真右手のビル(Daiwa銀座ビル)の辺りにあったと思われます。
写真4、2016年5月28日、撮影。
『ある日わたしは』第11話、ラストシーンに戻りましょう。下の写真5は写真1と同じ方向で撮影したものです。今ではこの「Daiwa銀座ビルがドーンと大きく建ってしまっていますが、おそらく当時「千多和眼鏡店」はこのビル1階のショップの辺りにあったと推測できます。写真1、俯瞰のロングショットは「泰明小学校」の校舎2階から撮影したものと考えられます。
写真5、2016年5月28日、撮影。
しかし、ここで大きな疑問にブチ当たります。写真1では、当時、ここにみゆき通りと交差する道路があり、車が2台写っていました。また写真2でも「千多和眼鏡店」を曲がった道沿いにカレー屋や不動産屋などが写っていました。この道路はどこにいってしまったのでしょうか?
こういう時に役に立つのが、「goo」の古地図。昭和22年(1947年)と昭和38年(1963年)の航空写真が見られます。早速、このビルの辺り調べてみました。
思った通り、1963年の航空写真には、みゆき通りと交差する道路が写っています。その後、高度経済成長期にこのビルが建てられ道路が無くなってしまったということでしょう。ネットで「Daiwa銀座ビル」を調べると1972年竣工とのこと。『ある日わたしは』が撮影されたのが1967年ですから、撮影後間もなくこの辺りの再開発工事が始まったと考えられます。この時期の東京の風景はどこも毎年大きく変わっていったのを思い出します。
***
もう1つ紹介しましょう。下の写真は第15話、ゆり子(松原智恵子さん)と次郎(和田浩治さん)が喫茶店で会話するシーン。
窓越しに見える「富士フィルム」の看板。もう、おわかりですね。このシーンのロケ地も同じく銀座「みゆき通り」と考えられます。ドラマ映像では電柱に「十仁美容整形」の看板も見えましたから、間違いないでしょう。窓越しに見えるのは、ちょうど写真3を反対方向から見た風景ということですね。道路が「富士フィルム」の看板の先で折れ曲がっている具合もよく見えます。
2016年5月28日、撮影。
もうひとつ、ロケ地特定できました(喜)!
大変興味深く、拝見しています。ところで、わたしは、銀座の次郎長シリーズで、銀座ロケ地の探訪をしていました。このシリーズでは、問題の通りに「ろくめい館」が写っており、気になっていましたが、実際には泰明小学校の正面に位置していました。
返信削除https://twitter.com/tocho_koho/status/1373114741191675907/photo/1
これは貴重な画像ですが、映画の雰囲気はありませんね。
銀座みゆき通りをコンパクトに再現する日活銀座オープンセット
https://twitter.com/ohsumi10/status/1326049082440249346?lang=fr
で撮影されたものと推測します。ともかく、解決しました。