あの頃の大原麗子さん(24)あにき

昭和52年、市川崑監督の映画『獄門島』の撮影が終わりかけていた頃、思いがけない仕事が舞い込んできた。倉本先生脚本のドラマで、高倉健さんの妹役。

倉本先生からの電話で、最初に、ドラマには出演しない健さんをテレビ局が口説き落としたって聞いてびっくり。「実はね」と続いて、「健さんの妹役にはレイコちゃんを考えている」って聞いて、また、びっくり。

「健さんは何代も続いた人形町の鳶の頭で、妹とふたり暮らし。なかなか結婚しない妹を...」

「センセ、あたしやります。是非やらせてください、お願いします!」 と、倉本先生からの役の説明もそこそこに、大きな声で電話の向こうの先生に叫んでいた。

東映時代に『網走番外地』で健さんとは5本も共演していたので、自然と妹役は私のイメージで脚本を練った、みたいなことを倉本先生は仰っていた。

いつも言ってるけど、健さんは私の目標。男性として好きというより、それ以上のもの。早い話、私は健さんになりたいわけね。どんな芝居をしても、どこかに自分というものが出てしまう。人の心を動かすような芝居をするには、自分を律して、感性を磨いていくしかない。そんなことを健さんから学んだ。

私がこのオファーを聞いてびっくりしたのは、スーパースター高倉健との共演ということではなく、私がひそかに目標としていた人との共演が実現したということ。倉本先生からの電話を切った直後には、「どん底から這い上がってきた女優を神は見捨てなかった。こんな事ってある!こんな事って!」って、独り言を何度も言っていたような気がする。

あの頃は、ギランバレーがいつ再発するのかという不安と、恒彦さんとお義母さんとの生活に行き詰まりを感じていた。この仕事に巡り会えたことはどんなに励ましになったことか。 

そんな私の気持ちを倉本先生も感じ取って下さったのかもしれない。兄に守られる物静かな妹というだけではなく、兄と真剣にぶつかり合うシーンがひとつ入れられたのを覚えている。

健さんと対峙し、最後に健さんに殴られるシーン。何度もテストして健さんの演技は観ていたけれど、本番は真に恐ろしさを感じるほどだった。それに比べて、私の芝居なんかまだまだ。 その時、誓ったの。「次にいっしょに仕事するときまでには、健さんと渡り合える女優になってやる」ってね。

2009年8月3日、大原麗子さん永眠。合掌。 


ドラマ『あにき』(1977年 TBS)、第12話より。

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当時、30歳の大原麗子さん。健さんと対峙するシーンはなかなか迫力ありましたよ。 

健さんの人間力に真っ向から対峙できる女優は大原麗子さんと倍賞千恵子さんというのが、筆者の持論です。『あにき』は、このお二人が出演しているドラマでもあります。

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これはフィクションです(筆者)。

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