あの頃の大原麗子さん(23)市川崑監督との出会い

「今、ここで頑張らないと、女がすたるよ」

わたしが辛い思いをしているとき、市川崑監督がかけてくださった言葉。

ギランバレーとの闘病生活を終え、ようやく女優の仕事に復帰できたものの、病気の再発という不安がいつも付きまとった。爆弾を抱えながら仕事しているみたいな感じね。朝起きると足が動くか確認。あー、今日も大丈夫だとホっとして、それから何種類もの薬を飲んで撮影の現場に出かける毎日。そんな不安な時期に、市川崑監督の映画『獄門島』の仕事に出会えた。

当時30歳のわたしは、ベテラン揃いの役者、スタッフたちに囲まれて、今日こそはみなさんの期待に応えた芝居をしようと思って現場に入る。でも、思うように役作りができなくて、悔しさで思わず涙が出てしまうこともあった。

あの頃のわたしは自分の内面にあるものを出すことが役者の基本だと思っていた。市川監督も『獄門島』ではあまり何も仰っしゃらず、わたしに泳がせていたところもあった。今から思えば、役作りの基本は何なのかも解っていなかったんだけどね。 

恒彦さんとお義母さんとの生活、そしてギランバレーの不安。それより何よりも、役者としてまだまだ未熟で、役を思うように表現できないもどかしさ。その後の女優人生でも、もっと辛いことがあったけれど、そんなときは自分への掛け声のように、この言葉が自然と出て来た ― しっかりしろ!今、ここで頑張らないと、女がすたるよ!! そうすると、思わず笑いがこぼれて元気が湧いて来た。

市川監督のスタッフたちは和気あいあいとして、結びつきも強くて、仕事に行くのがとても楽しみだった。いつだったかすごく緊張感があるシーンで、カチンコが鳴った瞬間、あまりにも力が入りすぎて、「プー」とお尻から音を出してしまった。皆は助監督さんだと思って、「何やってんだ―、バカヤロー」なんて責めたので、「すいませーん、わたしです」って白状。一同、大爆笑でしたね。石坂浩二さんは「かわいい」って言ってくださったけれど、後にも先にもあんなに恥ずかしい思いをしたことはありませんよ、ほんとに。

その後もいろいろな監督さんと仕事をしたけれど、市川監督とは息がぴったりとあって、監督と巡りあえたのは、わたしの女優人生の中で大きな転機だったと思う。

2009年8月3日、大原麗子さん永眠。合掌。


映画『獄門島』(1977年、東宝)撮影現場 

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これはフィクションです(筆者)。

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