パパと呼ばないで ロケ地の楽しみ(10) 佃・月島・勝どき その10

井上精米店のロケ地となった佃3丁目はかつて「新佃島」と呼ばれていました。この地域は東京湾を埋め立てて造られた人工島で、月島、勝どきに次いで明治29年に完成しました。当時この辺りは風光明媚な場所だったそうです。晴海、豊洲、有明、東雲といった埋め立て地はまだ存在せず、房総半島が一望できたわけです。

明治38年、この島に「海水館」という割烹旅館が開業しました。2階建て24部屋ほどで、仙台にあった建物を移築したものです。一日中風呂が沸いており、海に向かってせり出した部屋から釣りを楽しむことができたそうです。この「海水館」は明治末期から多くの作家が執筆場所として利用しています。明治40年には島崎藤村が小説「春」を朝日新聞に連載し、小山内薫が明治42年から「大川端」を読売新聞に連載しました。他にも竹久夢路などの多くの芸術家たちが、ここに泊まり創作活動を行いました。

「海水館」を現代に例えると、いわばウォーターフロントに建てられた隠れ家的なホテルで、美しい景色の中、釣りをして、うまいものを食って、ジャグジーに浸かる、てな感じだったのではないでしょうか。

海水館跡は現在では児童公園になって石碑が建っています。住所は佃3丁目11−19。第15話『とんだ人助け』で右京が秋夫と立ちションをした場所です。あの立ちションのロケ地がかつては島崎藤村や竹久夢二が創作活動をした場所だったは意外でした。


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佃島・月島・勝どき地域は昔の名作映画にも幾度となく登場します。 すぐに思いつくのが、1960年の成瀬巳喜男の映画『女が階段を上がるとき』。

高峰秀子演じる銀座のクラブのママ・圭子は胃潰瘍で血を吐き、しばらく佃島の実家で休養することに。下の写真は細川ちか子演じるクラブのオーナー・まつ子が佃島へ見舞いに来るというシーンから。

成瀬監督はまず2つ風景カットを入れて観客を佃島へ連れていきます。1つ目は「佃の渡し」。この渡船は1964年に佃大橋が開通するまでは、佃・月島住人の生活の足として使用されていました。このカットは佃煮の「天安」の向かい辺りにあった渡船場で撮影したものです。映像にはタグボートのような渡船が写っています。

2つ目のカットは住吉神社の第一鳥居から神社に向かう参道とも言えぬ路地。両側の生活臭が漂う木造の家屋はまさにこの地域の典型的な風景です。

下の写真は圭子の実家の2階。これは撮影所のセットですが、背後に神社の屋根らしきものが見えるので、実家は上のカットの路地かその近辺にあったという設定でしょう。

「あたし、佃島なんて初めて来たの。何だかこの辺は昔の東京の名残みたいなもんがあるわね」と、まつ子。この地域一帯は太平洋戦争の被害から免れたため、明治・大正期の東京の風景がそのまま残りました。美術の中古智氏はその佃島の典型的な木造家屋を見事にセットで再現しています。

2018年2月18日、撮影。

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この地域は小津安二郎の1948年の映画『風の中の牝鶏』にも登場します。

あらすじ ー 田中絹代演じる雨宮時子は、佐野周二演じる夫の修一が戦地から帰還するのを一人息子の浩と待つ日々を送っていた。ある日、浩が大腸カタルで入院し、前払いの入院費が払えず、何を誤ったのか、知人の紹介で外見は素人屋の売春宿に出向いてしまう。このことはやがて帰還してきた修一にわかってしまう。以下は修一が時子を問い詰めるシーンから。

修一「お前の行った家はどこだ」
時子「....月島でした」
修一「月島はどこだ」
時子「....終点で降りました」
(以下、修一の詰問に対し、ポツリポツリと答える時子のセリフのみをピックアップ)
「左へ行きました」
「狭い道でした」
「しばらく行って左へ曲がりました」
「角には小学校がありました」
「その学校の裏でした」
「門灯に桜井と書いてありました」

こういったセリフは昭和のロケ地探訪を趣味とする人たちの興味をすこぶる掻き立てますね。この桜井という影で売春宿をやっている家は、いったいどこら辺にあったのでしょうか?

当時、勝鬨橋には都電は通っていなかったので、時子が言っていた終点とは、おそらく都電の勝鬨橋手前の停留所のことでしょう。この辺りにある小学校とは、月島第2小学校。後に登場する修一が桜井家に行くシーンを参考に、あれこれ考察してみると、この桜井家のロケ地は、勝どき3丁目3−4辺りではなかったかと思われます。

上の写真は修一が桜井家に向かうシーンから。修一の背後には隅田川を流れる船が見えるので、晴海通りから1本勝どき側に入った通りでしょうか。おそらく、勝どき3丁目3−2辺り。

下の写真は修一が桜井家で会った女と偶然出会うシーンから。背後に見えるのは勝鬨橋。二人がいた場所は勝どき1丁目13−13−19、現在の中央区立セレモニーホールの辺り。上の写真の道路を真っ直ぐ突き当たると、この隅田川べりに出ます。

下の写真は相生橋を越中島から佃方面に向かう修一です。相生橋は架替え前のものです。『パパと呼ばないで』第2話ラスト、右京が千春に「アイスでも食べに行くか」と言って、二人で相生橋を渡るシーンがありましたが、ドラマに写っていた相生橋もこの映画と同じく架替え前のものでした。


元々は埋め立てによって造られた人工島が、藤村や夢二が創作活動をした場所であったり、成瀬・小津映画に登場し独特な味を出したりと、この地域には独特で奥深いものがあるように感じます。

ベテラン映画人だった石立ドラマのスタッフたちは、当然、成瀬・小津の映画に影響を受けているわけで、シリーズ第3作で「下町もの」を制作するにあたり、昔の東京の面影を伝える場所として、この「島」を選んだのは、自然な成り行きだったのかとも思われます。

今、この地域には、2020年の東京オリンピックに向け新たな開発の波が押し寄せ、風景の変貌は著しいものがありますが、明治・大正から続く遺産はいつまでも残して欲しいものですね。

皆様、2019年も良いお年を。

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ロケ地の写真を掲載します。

第34話、たかしの家に乗り込む右京。

佃1丁目2−10、2018年9月17日、撮影。

第34話、たかしの母親と喧嘩する右京。

右京たちの背後に写っていた道路と向かい側の民家。
佃1丁目5−7、2018年9月17日、撮影。

第34話、右京と恩地、たかしの家の前で。

佃3丁目5−7、2018年9月17日、撮影。

第34話、ラストシーン、右京と千春。

月島3丁目31−1、西仲橋、2018年9月17日、撮影。

第35話。盆踊り会場。

佃1丁目7、2018年9月17日、撮影。

第36話、右京と園子。

佃1丁目3−14、2018年11月24日、撮影。

第37話、公衆電話、千春。

佃2丁目7−10辺り、三角公園前、2018年11月24日、撮影。

第37話、千春と精太郎。

佃1丁目9−3、2018年11月24日、撮影。

第40話、園子を探して歩き回る千春。

月島3丁目32−2、2018年11月24日、撮影。

第40話、園子を探し歩き疲れた千春、園子と出会う。

月島3丁目31−1、西仲橋、2018年11月24日、撮影。

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