あの頃の大原麗子さん(17) いつまでも

恒彦さんと初めて会ったのは、東映の大泉撮影所。私は23歳、彼が26歳。当時、私は高倉健さんの映画のヒロイン役で注目され、女優として芽が出始めた頃だった。彼は会社勤めをしていたところを、東映に口説かれて、ようやく決心して映画の世界に入ってきたばかりだったのね。

その頃、私は東映に入って5年目。『三匹の牝蜂』という映画で、初めて主演のチャンスが貰えた。1970年、大阪万博の年で世の中が沸き立っていた。私の役は大阪のスケバン。そして、私の恋人のチンピラ役に選ばれたのが恒彦さんだった。

恒彦さんと初めて会った時の印象は、誠実そうな人。初めて交わした会話は、おどろくほど退屈だったのを覚えている。「はじめまして。新米ゆえ不慣れな点もございますが、よろしくお願いいたします」なんてね。「なーに、この人、営業マンじゃないんだから...」と思ったけれども、「はじめまして。そんなに固くならないで。何でも聞いてね」みたいなことを言って、私にしては愛想よく答えた。

私は高校生の頃から芸能界に入っていたでしょ。一方、彼は大学に通って大手企業に入って、いわゆるエリートサラリーマン。私にとっては、よく知らない世界で、あこがれみたいな所もあって、彼と話しているうちに、私に無いものを持っていることに気づき、どんどん彼に惹かれていった。

それから、彼とはいっしょに食事に行ったりして、そのうち、私と母が住んでいたマンションに遊びに来るようになったのね。彼とは、歩んできた人生も違うけれど、深い所で考え方が同じで、何か強いつながりを感じた。あの時、私の胸にこみ上げたのは、「あー、この人なんだ。この人と一生つながっていたい」という感情だった。変な話だけど、「何があろうとも、この人のお葬式は必ず行く」なんていうことも考えたのね。現実は全くあべこべになったけれどね。

その後、恒彦さんとは結婚して、離婚した。簡単には言えないことがたくさんあるけれど、私が女優を廃業して家に引きこもっていたとき、思い切って彼に電話して、いつか必ず女優に復帰したいと伝えたの。無口な彼が、電話の向こうで「もう一度、輝いた大原麗子が観たい。オレもファンのひとりだから」と言ってくれた。そして最後に、「わかった、なんとかするから」と言って、彼は電話を切った。

今だから、はっきり言っても、構わないでしょ...恒彦さんは私の夫です、いつまでも、いつまでもね。

2009年8月3日、大原麗子さん永眠。合掌。 

十津川警部シリーズ 東北新幹線「はやて」殺人事件、2004年、TBS 

***

これはフィクションです、念の為(筆者)。

コメント

人気の投稿