あの頃の大原麗子さん(16) 高倉健さんのこと

昔はインタビューなんかでも健さんの話は一切しなかったけれど、今だから話せる事ってあるでしょ。弟や周りの人たちに、「健さん、だーい好き!」って平気で言ってたから、「レイコちゃん、何、のぼせてんの」って、よく冷やかされましたっけ。私もわざとそんな風に装って...、でも、健さんに対する本当の想いはちょっと違うのね。

私が健さんと初めて共演したのは、東映の『網走番外地』っていう映画でした。健さんは看板スターで、健さんの映画だってことは覚えていても、私がヒロイン役なんて覚えている人は少ないんじゃないかしら。私もこの人気シリーズに出演したことで、ちょっとは注目されて、個室がもらえるようになったのもこの頃だった。

東映に入社してから、辰っちゃんの映画にずっと出ていて、監督さんの言う通りに動きまわる毎日だった。そんな時、たまに横目で健さんの撮影の様子を見ていて、「カッコいいなー」なんて思っていたのね。「いつか、あたしも健さんの映画に出たい」と冗談ぽく言ってたら、助監督さんからこのシリーズ出演の話を持ちかけられたの。その時は映画に何本も出ていて、ドラマも掛け持ちしていて、どうしてそんなこと引受たのかって、今考えると、無謀なんですけど、興奮して、嬉しくて、思わず「やります!」って、言葉が先に口からで出ましたね。

朝早くから撮影、夜はみんなでゴーゴー喫茶に繰り出す毎日だった私が、自分を見つめるきっかけを作ってくれたのは、健さんだと思ってる。どんな芝居をしても、どこかに自分というものが出てしまうんですね。だから、怖いんです。特に同性の目は厳しいでしょ。人の心を動かすような芝居をするには、自分を律して、磨いていくしかないと思うんです。そんな当たり前のことを、初めて教えられたの。もちろん、健さんはそんなこと何も言いませんよ。言葉でなくてね。いっしょにいるだけで、安心するっていうか、人間の大きさを感じるのね。そういうことから自然と学んだわけ。

それから、健さんとはいっしょに仕事をする機会もなくて、夢中で女優の仕事に没頭する生活だったけど、自分を見つめ直す機会があったときに、「いつか、女というものを演じられる女優になりたい」と思うようになったのね。それは骨太な男を演じられる健さんが心のどこかにあって、意識したからだと思うわ。

いつだったか、雑誌の仕事で、「どんな男性が好き?」なんて聞かれて、「毅然とした、強い人、仕事に対するプライドを持っている、それでいて繊細な人」って答えたことがあって、みなさん、健さんや渡瀬さんのことかって、思っていたようだけど、本当は私がそんな人になりたいっていうことなんですね。

次に健さんといっしょに仕事したのが、『あにき』というドラマ。健さんが連続ドラマに出演したのは後にも先にもこれだけで、それに、この役が自分に来るなんて思ってもなかったから、ビックリでしたね。私も「大原麗子」の名前が張れる女優になってましたから、かなりクールに兄妹を演じたつもり。18歳の、あのときの「ビッチ」がこんなになりましたって、健さんに認めてもらいたかったのね。

その時、心に誓ったの。「次にいっしょに仕事するときまでには、健さんと渡り合える女優になってやる」ってね。早い話、健さんは私のあこがれ、そして、目標だったんですね。このことは誰にも言ったことはないし、今だから言えるのかもしれない。
 
 
1965年12月。東映『網走番外地』北海篇、大原麗子さん19歳。高倉健さん34歳。ふたりの初共演作品。


1992年4月。NHKドラマ『チロルの挽歌』、大原麗子さん45歳、高倉健さん61歳。ふたりが共演した最後の作品。(健さんと十分、渡り合ってましたよ、大原さん)

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この話はフィクションです、念のため (筆者、談)

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