あの頃の大原麗子さん(12) 聖なるもの

毎年、セミが泣き出すこの時期になると、彼女の訃報にしばらく呆然としていた、真夏の記憶が蘇ります。そういえば、昨年もこのブログで、同じことを書いていた自分に気づき、また1年経ったのかと、実感する次第です。8月3日は、彼女の命日。もう4年、まだ4年です。

昨年のこの時期、前田忠明著、『炎のように』をドラマ化する発表がありましたね。当初は11月放映予定とのことでした。その後、企画自体が頓挫したりして、結局、放映されたのは今年の3月となりました。

ドラマの中身は、本とほぼ同じ。わざわざ映像化することもないよ、と感じた方も多かったのではないでしょうか。

この本にしても、ドラマにしても、限られた人達への取材を元にしているせいか、書かれている大原麗子像はかなり偏ったものになっています。それはそれで、ある一面を捉えているのかもしれませんが、もっと別の見方もあるだろうと、常々感じています。

彼女を「扱いづらい女優」と捉える人もいれば、「役作りや台詞に、トコトンこだわる職人気質」という人もいる。当たり前のことかもしれませんね。人物像なるものは、結局、各人それぞれのレンズを通してしか、見えないのですから。

以前に取り上げましたが、長年、一緒に仕事をしていた鴨下信一氏は、「彼女のことをわがままという人もいたようですが、ぼくは一度も感じたことがない。むしろ、ずいぶん無茶なことをやらせたと思います」、と語っています。

同様に、『炎のように』とは別の大原麗子像を探る手掛かりになるのが、原田芳雄さんのエッセイ集、『B級パラダイス』。この本の中には、『聖なるもの 大原麗子』と題した、一篇が収められています。以下、抜粋します。感性を押し出した文章なので、じっくり読まないと、意味が解らないかもしれません。

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自分にとって女優さんというのは、
きわめてそういう一つの遊びになるの。
巫女さんと司祭者の関係みたいで。
だから自分らのことを考えても、
女の情念みたいなものを自分の中につかさどる時に
一番興奮するのね。
女装して興奮しない遊び人いないんだよ。
いないといったら、言い過ぎかもしれないけど、
緋縮緬の1枚も肩に羽織れば、
往々にしてある種の興奮をするんだね。
そういう遊びごとの基本は、
どうも女の人の情念みたいなものに
一つの脈絡が続いているものじゃないかという気がする。
だから、遊び仲間として女優さんほど、
自分にとって今かけがえのないものはないんですよ。
お前に何か一つプレゼントしてやると言われたら、
即座に女優さんをもらうというぐらい女優がほしい。
常に女優さんですよ、自分にとっては。

でも、麗子っていうのも、不思議な女優さんだね。
今まで一番印象に残っているのは、
擬似兄妹というかな、妹みたいな役をやったよね。
(*)『冬物語』のことかと思われます。

そうすると、非常に昇って行くのね、世界が。
昇華して行くっていうか。
それは俺じゃないんだよね。麗子のしわざなんだよ。
これだけ長いこと続けてると、
多少なりとも昇りつめる形が下降したりなんかするんだけど、
常に昇華する。
だから麗子には聖なるものというか、
それがつくのね、間投詞として。

麗子がスタジオの外で何を食おうが、何していようが、
まったく関心ないわけ。どうでもいいの、そんなこと。
家に帰ったら逆立ちしていようが、何でもいいわけ。
自分にとっての女優……
やっぱりそういうふうな聖なる麗子っていうか。
だから、常に昇りつめる。
俺なんかそれに引っ張られるわけね。
それは何なのかわからない。ただそうなっちゃう。
だから、麗子と兄妹なんていうと、その途端に狂っちゃうね。
麗子とある種の兄妹というシチュエーションを与えられた時には、
なんていうか、かなりな因縁という感じがしちゃうわけ。
一つの時代に終わらないみたいな感じがするの。
その兄妹がたとえば五十年生きるとしたら、
その間の話じゃないという感じ。

だから、現場を離れて麗子と会うなんていうと、
自分は麗子と、とてもじゃないけれども対談なんてできない。
なにか謁見するという……オーバーでなくてそう思う。
まともな話なんか成立しないんですね、麗子の時には。
ほんとうにそうなんだ。不思議だね。
麗子がカレーパン食うとね、
ああ、カレーパン食ってるなということがもう……
全然違うんだね。
われわれがカレーパン食うというイメージじゃない。
あの人にはカレーパンも高級フランス料理も
ほとんど等価値だなという気がするの。
カップ焼きそばも、なんとかかんとかも、ほとんど等価値なの。
われわれ下司は、カレーパンはやはりカレーパンなんだね。

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このエッセイ集が発行されたのは1982年。原田芳雄さんが42歳のときの執筆です。
大原麗子さんは、当時、35歳。森進一氏との結婚生活は、3年目を迎えていました。
この年、彼女はNHKやTBSの連続・単発ドラマに、休む暇なく主演しています。サントリーCMも3年目を迎え、『雲海篇』、『ありがとう篇』、『男は寒がり篇』などが制作されたのが、この年でした。

スレ違いの生活、家の中に男が2人いる、森進一氏に知らせず、密かに子供を堕ろした。『炎のように』に書かれている、この時期の彼女です。それは極めて世俗的に表現された大原麗子像です。

一方、「聖なるもの」としての大原麗子像。原田芳雄さんに言わせれば、彼女が家に帰ったら逆立ちしていようが、極端な話、子供を堕ろそうが、何でもいいわけです。あの魂の役者とも云うべき、原田芳雄さんが、彼女から感じ取った「女の情念みたいなもの」、すなわち、彼女の魂は、「聖なるもの」であったということでしょう。

『雑居時代』の夏代さんや、サントリーCMに写された彼女は、多くの人を惹きつけます。その理由の1つは、紛れもなく、原田芳雄さんが表現するところの「聖なるもの」を感じさせるからではないでしょうか?
ドラマ『冬物語』より
大原麗子さんは原田芳雄さんを、プライベートでも、「あにき」と呼んでいたようです。


補足

お二人が共演した連続ドラマは、
1968年、『おじゃまさま』
1972年、『3丁目4番地』
1972年、『鉄道100年 大いなる旅路』
1972-73年、『冬物語』
1973-74年、『さよなら、今日は』
1975年、『裏切りの明日』
1979年、『たとえば、愛』
1981年、『ポーツマスの旗』

その他、1981年、8月1日、タモリさん司会のバラエティ、『今夜は最高』に、お二人は出演しています。『週刊TVガイド』の記事をUPします。


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