『雑居時代』、70年代の空気

季節感豊かな東京・山の手、成城や渋谷の風景、居心地よさそうな和洋折衷の栗山邸。『雑居時代』で繰り広げられる空間はとても魅力的です。そして、このドラマの空間を、独特な香りで、さらに魅力的にしているのが、当時のファッションや調度品だと思います。

夏代さんや秋ちゃんの「つば広の帽子」や「パンタロン」。台所シーンなどによく写っている、花柄の炊飯ジャーや魔法びん。今あらためて見ると、70年代のデザインは、斬新で、華やかです。
『雑居時代』から、そんな当時の空気を感じさせるものを拾ってみました。

1.ファッション

重ね着ルック
長袖シャツの上に半袖を重ね着するファッション。当時、こんな格好の人を街でよくみかけた。
ベルボトムのジーンズ
裾の開き具合が年々大きくなっていった覚えがある。あまり広すぎると、自転車をこぐとき、裾がギアに挟まれてしまうのが、難点だった。
トラッド・ファッション
フーコやデコちゃんのようなお嬢様系の女子大生は、ブレザー、ポロシャツ、ローファーといった、いわゆるトラッド・ファッションが基本だった。この流れは70年代後半のハマトラ(横浜トラディショナル)へと展開していった。

ミニ・スカート
はやりだした頃は、老いも若きも、猫も杓子も、はいていたミニ・スカート。日本中の女性全員がはいていると思えるほどだった。膝上、何センチ、という言葉も定着した。『雑居時代』が初回放映された1973年ごろには、そんなブームも沈静化していた、と記憶。
かっぽう着
まだこの頃は、日本の「お母さん」の代名詞だった、白いかっぽう着。和服にあうデザインだと思う。第15話、十一の夢の中で、おかゆを運んできた、大原麗子さんのかっぽう着姿もいいが、第1話の加藤治子さんの方が、さすがに似合っているかも。
ヒッピー・スタイル
『雑居時代』が初回放映された1973年当時、既にこのヒッピー・スタイルも過去の話。松木ひろし氏は、夏代さんの、この友人の時代錯誤な雰囲気をコメディーにしている。
2.食べ物

御御御付け(おみおつけ)
標準的な名称は「味噌汁」だが、江戸っ子は「おみおつけ」という。ドラマで夏代さん達も、「おみおつけ」といっていた。今では、東京でも、めったに「おみおつけ」という言葉は聞かない。定食屋のメニューにも「あさりの味噌汁」などと書かれているのが普通。
ビフテキ
最近まで、ビーフ・ステーキの略語だと思っていた。実は、フランス語、bifteck からきているらしい。いずれにせよ、もう死語だろうか。
三角豆餅
今は、三角豆餅を売っている店は、都内には殆どないと思う。小生が知っている店も、新宿三丁目の「追分だんご」ぐらい。近所の和菓子屋さんに聞いたところ、売れないので、かなり昔に作るのをやめたそうだ。第8話で稲葉先生が買ってきた豆餅は、どこの店のものだろうか?映像には、深緑色の包装紙に紋章らしきものが見えるが、判別できず。
お供え餅、のし餅
第14話、夏代さんは正月用にお供え餅の準備をし、のし餅を切り分けていた。「箸箱」からもうかがえるが、やや保守的な中流家庭の栗山家。この餅の準備も、お母さんから受け継いだ毎年の行事だろうか?最近の真空パックの餅は風情がない。
3.調度品

電電公社の黒電話
昔、電話機は黒いものだと、みんな思いこんでいた。自由化され、カラフルな電話機が出回るなんて、想像もしなかった。
灯油ストーブ
信 「十一くん、きみ、もしや.....」
第9話、灯油ストーブの前、十一と信さんのやりとりは名場面。
灯油が燃える匂いが懐かしい。毎年、この匂いがする頃、深まる秋を感じた。
重そうな綿のふとん
最近はダウンの掛け布団が常識のようだ。こんな重そうな綿のフトンが欲しくても、売っていない。重いふとんじゃないと眠れない!という人もいるが。
赤い郵便受け
郵政省規格品のこの郵便受け、よく、町内会などで共同購入した。
4.風景

JALの「鶴丸」
鶴のマークは、日本の高度成長時代の象徴の1つだと思う。ちょっと豊かになった日本人は「JALパック」で「ジャンボ機」に乗って、夢の海外旅行に出かけた。1970年、紀比呂子さん主演のドラマ『アテンションプリーズ』を観て、JALのスチュワーデス(キャビン・アテンダント)を目指した人が多かった、ような気がする。最近、この鶴丸が復活したのは、嬉しい限り。
板塀(べい)
さわやかな秋の日が射す板塀に、草木が生えた砂利の道。昭和を感じる風景。
渋谷・公園通り
1972年にパルコ(Parco)がオープンし、この通りの名前も、「公園(Parco)通り」になった。パルコは70年代の若者ファッションを長らく牽引していった。今は、この公園通りもかつての活気に陰りがでてきたように思う。
2011年12月撮影
第6話より












5.世相、風物

オイルショック、買い占め
ドラマの随所に、「オイルショック」を風刺した会話が登場する。例えば、第21話の冒頭シーン、
マリー 「どうして、洗剤がないの?」
夏代  「石油が足りないからよ」

1973年10月に勃発した中東戦争による石油不足で、当時も「節電」を実施。繁華街のネオンが消えたり、テレビも夜12時で放送終了になった。「石油不足でモノがなくなる」という風説が流れ、みんなが洗剤やトイレットペーパーを買いに走った。第23話で、夏代さんが洗剤とトイレットペーパーを下げて、栗山邸脇の坂道を登ってくるシーンが思い出させる。
物価高
ドラマで夏代さんが「何でも高くなったわねー」とため息をついていたが、高度成長とともに、モノの値段はどんどん上がった。「デフレーション」という言葉は、社会科の教科書の中だけの話だった。当時は知識の無さから、物価が下がる「デフレ」ってイイなーと、考えていたことを思い出す。

喫煙シーン
この時代のドラマや映画には、しょっちゅう、喫煙シーンが登場する。今となっては、異様にも見えるが、当時はごく当たり前だった。東和毛織のオフィスも喫煙可だったようだ。
チリ紙交換
現在では、新聞社や自治体が「資源リサイクル」の1つで古紙の回収をしている。十一がケン坊に頼まれた「チリ紙交換」は、今では、もぐりの業者と間違えられるかも。

「日の丸」
祭日には、家の前に「日の丸」を掲げた。

羽子板
着物を着た近所の女の子が羽子板をするのを眺める、そんな風情がある、静かなお正月を送りたいと思う。テレビの新春特番には、うんざりする。当時は、元旦でも普通に連続ドラマなどのレギュラー番組が放映されていたことを思い出す。
***

ツイッターで、ある方が「秋ちゃんのベッドカバーが素敵、欲しい!」とツイートされていました。CSなどで、初めて『雑居時代』を観る世代には、懐かしさよりも、新鮮さを感じるのかもしれません。

『雑居時代』には当時の空気が結構、忠実に写っていると思います。このドラマには、40年前の東京にタイムマシンで行ったようなワクワク感がありますね。当時、リアルで観ていた方々には懐かしさを、初めて観る世代には、新鮮さを。このドラマが多くのファンを魅了し続ける理由は、そんな所にもあるのだと思います。

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