あの頃の大原麗子さん(5) 生真面目、不器用、可愛い人

負けず嫌いで、仕事一筋。
家庭よりも仕事を選び、結婚生活はうまくいかず、2度の離婚。
妥協することが嫌い、完璧主義。それをわがままという人も。
晩年は再発したギラン・バレーとの闘病生活。
うつ病を併発し、周囲の人たちと衝突。

他界後、いくつもの彼女の特集番組が放映され、どれも生前の彼女をこのようなキャラクターに描いています。それもそのはず、どの番組も実弟・大原政光氏や、彼女が親しかった石井ふく子氏らの思い出話を元にしているわけですから、同じように出来上がってしまうのは仕方ないことでしょうね。

かつて「好感度ナンバーワン」と言われた国民的大女優を、「女優伝説」などと銘打ったバラエティー番組のネタにしていまう風潮に嫌気が差し、この手の番組は適当に流して観ていましたが、中でも、ある番組で語られたエピソードだけは今でも大きな疑問が残ります。

そのエピソードでは、「気まぐれ天使」のオープニング映像が流れ、

「石立鉄男と共演したレイコ。だが、石立が二日酔いで撮影を休むと、腹を立てて自ら降板してしまった」などという、ナレーションが入りました。

大原さんが石立さんの二日酔いにキレて降板?
誰がこんなこと言ったの?
大原さんが残した「スクラップ・ブック」にそんな書込があったのだろうか?
耳を疑うと同時に、こんなことが瞬時に頭を駆けめぐりました。

ふたりとも、昔からいっしょに仕事をしている仲ですから、ドラマの役柄さながら、大原さんが石立さんの二日酔いにキレることはあり得るでしょう。ですが、感情にまかせて、彼女が途中降板することはありえない話です。仕事一筋で責任感が強かった彼女が、一度受けた仕事を途中で放り出すことは、まず考えられません。ましてや、ギラン・バレーで、ドラマを2本も降板し、急な変更がどれだけ周りに迷惑をかけるのか、誰よりも知っていたはずですから。

下の図はギラン・バレーから復帰後の彼女の出演作を年表にしたものです。復帰後の彼女は、原則かけ持ちはせず、主演作に集中したことが、一目瞭然ですね。

時期的に考えて、翌年1月からの日テレ系列のドラマ「悲曲 禁じられた愛」での主演は、「気まぐれ天使」の撮影が始まる以前から、すでに決まっていたと考えられます。そして、「気まぐれ天使」への出演はスケジュールが空いたこの3ヶ月間に限定したものだったのでしょう。

かつての大原さんなら、「悲曲 禁じられた愛」とのかけ持ちはしたかもしれません。でも、不安定な健康状態からか、あるいは、主演作に集中するためか、復帰後はかけ持ちは極力しなかったのだと思います。

「キレて降板」と、まことしやかに語るバラエティ番組。「彼女なら、ありえるよねー」と間違ったイメージを植え付けられる視聴者。どのようなイメージを持つかは、各人によるものですが、不純なものを取り除いたときに見えてくる彼女の姿は以下のようではないでしょうか?少なくとも、小生の目には、そのように見えます。

大原麗子さんは、
情熱的で一途な人です、恋でも仕事でも。
こだわりがあり、生真面目で、
悲しいぐらい不器用な生き方をする人です。
そして、お茶目で可愛い人です。


出典:ドラマデータベース、日本映画ドラマデータベース、
単発ドラマは表示していません。
サントリーCMの第1作目「雷篇」は、おそらく1980年3月ごろの放映。



補足

この番組は、2009年12月11日に放映されたテレビ東京「女優伝説、大原麗子」です。


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